松井 菜穂子 Soprano
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4月中国3都市レポート

 1月2月と不得意な季節に少々無理をし過ぎた後遺症で3月いっぱい何となく調子がいまひとつでしたが、桜が咲いた頃から俄然元気が出てきました。
4月7日

 まずは上海に向かいました。ここで我が社の総代表葉さんと合流し瀋陽に向かう予定でしたが、折悪しく葉さんはその少し前からインフルエンザの風邪にかかり高熱を出した直後でした。私は職業柄、風邪をひいてる人とは余り一緒にいたくありません。よく考えた末、これは天の声だろうと判断し、今回は一人旅を決意しました。

 4月9日、上海から飛行機で瀋陽に向かいました。瀋陽の友人李侃さんが飛行場まで迎えの車を出してくれ、その車でホテルまで案内して頂きました。今回のホテルはケンピンスキーホテルです。早速総領事館の森さんにご連絡し、その夜は総領事とお食事をご一緒させて頂きながら今秋の長春の事を色々お伺いいたします。阿部総領事にお会いするたびに益々そのお人柄に魅せられ、私も出来る限り頑張ってお手伝いさせて頂きたいという気持ちが強くなります。


前列左から阿部孝哉総領事
後列左から川端章義領事、森信幸領事、翁鉄軍さん

 総領事が前回の長春行きである程度目星をつけて来て下さったホールがあるそうなので、今回は私がそれらを実際に見てくることにいたします。なにしろ私達の歌はマイクを使いませんからホールの響きの良さが大変重要なポイントとなるのですが、これは素人の方には全く分からないことですから、私が実際に自分の耳で確かめるのが最も良い方法です。

 瀋陽~長春間は飛行機は飛んでおらず長距離バスか、汽車での移動となります。女性の一人旅ですからなるべく安全な旅を・・・ということで今回は汽車の一等車(軟座)で行くことになりました。

4月10日

 朝8時17分瀋陽発の汽車に乗る為、私としては珍しい程の早起きをしました。
  総領事館の森さんと翁さんが駅のホームまで見送りに来て下さいました。これを読んで「ひとり旅なんて言いながら何て手のかかるヤツなんだ!」と思われる日本人の方は多いのではないでしょうか。しかし!中国の汽車の旅は想像を絶する困難に満ちているのです。
  どの位大変かご存知ない方のために簡単な説明をいたしましょう。まず駅で切符を見せて荷物のX線検査を受けます。これが済んだら階上の待合室に向かいます。列車毎に決められた待合室があるので自分の乗る列車を確かめてそこへ入ります。だいたい2列車に対し1つの待合室ぐらいでしょうか。入ってみるとすでに大きな荷物とびっくりする程の人で混み合ってます。ガイドブックには発車時刻の30分前には改札が始まると書いてありますが、これまで私の経験した限りに於いてはギリギリ間際にならないと改札は始まりません。
  ですから焦っても仕方ないという感じで皆大きな荷物の上でトランプなどに興じて楽しんでいます。慣れない私はそれでも不安なので改札の一番前に立って待ちます。

  さあいよいよ係員が鍵を開けて改札が始まります。あれっ!一番前に並んでいた筈なのに私の前にもう何人かいるではありませんか・・・・なんでェ???でも、ひるんでいる場合ではないので私も頑張って突進です。切符にハサミが入ったら一目散にホーム目指して駆け足です。エスカレーターなどある訳ないでしょう!ですから自分の体より大きな荷物を持っている人も、すごい勢いでホームへ駆け降ります。
  さてどうにか転ばずにホームに降り立ったら、今度は自分の座る号車を目指して又駆け足です。日本だとグリーン車はたいていエスカレーターを降りてすぐの所にある場合が多いですけれど、中国ではグリーン車に相当する車両は長い長い列車の一番前だったりするので走らないと間に合いません。又日本の感覚で手近な車両から飛び乗って中で移動すれば良いなどと思っていると、1等車の手前で鍵がかかっていて入れず、車掌さんの登場までそこで待たなくてはならない羽目になってしまいます。
  1等車に人が沢山なだれ込むのを防ぐ為と聞き納得。まあよく考えてみれば1等車はビジネスマンが多いので大きな荷物を持っている人は少ないですから、そういう身軽な人こそ走れ・・・ということなのでしょうか。
  汽車の乗車まではザッとこんな感じです。

 ですから、座席に納まって森さん、翁さんとさようならした後は安堵感と疲労でグッタリです。
  しばらくはボーッと外の景色を眺めていましたが、やがて私の携帯電話が鳴り出しました。私の一人旅を心配してくれる友人達からの電話が次々とかかって来ます。本当に何て有難いことでしょう。中国で私のことを心配してくれる友人がこんなにもいてくれるなんて・・・感謝の気持ちでいっぱいです。
  さてそろそろ元気も出てきたので座席の向かい側の方と話してみることに・・・まずは私のホームページの中国語バージョンのプリントアウトしたものをお見せします。汽車の中で退屈し始めた頃ですので結構一生懸命読んでくださいます。名刺交換し次回又お会いしましょうなどと言い合う頃に長春到着です。

 長春のホームに出迎えて下さったのは吉林省人民政府外事弁公室の金雪峰さんです。
  金さんは日本の鳥取県の高校で中国語を教えた経験もある方ですから日本語は大変お上手ですが、私はなるべく中国語でお話するように頑張ってみます。まずは最初にお昼ごはんにしましょう・・ということでレストランに連れて行っていただきました。ここで吉林省文化庁張志強 処長 と朱紅さんにお会いしました。

左から吉林省文化庁 朱紅さん、私、吉林省文化庁対外連絡処 張志強処長、吉林省人民政府外事弁公室 金雪峰さん


 食事の後いったんホテルにチェックインすることになりました。南湖賓館というホテルです。このホテル内のホールも総領事ご推薦なので、まずはこのホールを見学するという段取りでしたが、この日は何か大きなイベントが昼に入っており見学不可能なので、ここは夜戻ってから再度見ることにして、もう一つのご推薦のホールへ向かうことにします。
  民族団音楽庁劇場というホールです。とても綺麗ですし大きさも手頃なのですが、やはり問題は舞台の上に反響版がないということです。

 昨年の瀋陽のホールもそうでしたが、舞台の上の天井が高い所まで遮るものなくスッポリと抜けてしまっているので、これだと舞台上の音が前へ飛ばずに上へ上へと吸い上げられてしまいます。マイクを使うのであれば別に問題はありませんが、マイクを使わない私達のような場合は音響が悪いとお客様に良い音楽を提供できませんし、又自分の喉の為にも良くありません。

 とりあえずここでは結論は出ないまま、夕食前までの間長春の市内を少し見学です。


 長春はゆったりした広くて静かな町というのが私の印象でした。この時期昼は暖かくても夕方からはかなり寒くなるのだなと感じました。
  お夕食の席で吉林省人民政府外事弁公室の王剛副主任、吉林省人民対外友好協会・アジア部の鄭剛部長にもお会いさせていただき秋のイベントに向けての第一歩が始まったことを実感いたしました。

金雪峰さん、吉林省人民対外友好協会アジア部 鄭剛部長、私、
吉林省人民政府外事弁公室 王剛副主任、張志強さん、朱紅さん

 


 色々と暖かいご配慮を賜り楽しく過ごしたお食事も終わり、ホテルに戻ってもうひと仕事です。昼に見学できなかった南湖賓館内のホールを見なければなりません。ここは政府関係の方がよく使うというだけあって、さすがにとても立派で美しいホールです。でも客席の床だけでなく舞台上の床もすべて 厚い絨毯で覆われているので、ちょっと無理かなと思ってしまいました。

 結局今回の長春訪問では結論は出ず、6月に再度長春を訪れることになりました。

 翌朝、昨日と全く同じパターンの逆バージョンで金さんに長春駅のプラットホームまで送って頂き瀋陽駅では森さん、翁さんに出迎えて頂き、こうして私の長春ひとり旅は一応無事終了しました。

 再びケンピンスキーホテルに戻り、今回の旅が始まって以来はじめて2連泊以上する部屋に落ち着くことができたので、早速本格的に荷物をほどいて「巣作り」開始です。“片付け魔”の私は身の回りが綺麗に片付いてないと不快指数が上昇してしまう為、ホテルなどの狭い空間は苦手ですが、今回は前述の友人李侃さんのお陰でとても広い部屋に案内されたので「巣作り」も快調に進みます。

 夕方友人の劉銘さんから電話を頂き夕食に誘って頂きました。彼女とは昨年10月のコンサートの折りに瀋陽で知り合ってから、その後東京や上海でも度々会う機会があり今ではすっかり大の仲良しです。オーストラリアから仕事でいらしてる方との食事の席に私も入れて頂き、元々上手でない英語と中国語の切り替えに苦労しながらも楽しい時間を過ごしました。その後 遼寧歌劇院の孟欣院長とお会いし、とても嬉しいニュースを聞かせて頂きました。それは今年の瀋陽国際芸術祭の開幕式(8月30日)に参加させて頂き孟院長指揮のオーケストラで3曲歌わせて頂く、というお話でした。開幕式で歌わせて頂けるなんて本当に光栄なことで有難いお話です。

 曲目はJ.シュトラウスの「春の声」、中国の有名な曲「在那遥遠的地方(日本名は草原情歌)」、そしてテノール陳黙さんと椿姫から「乾杯のうた」の3曲です。

 更に孟院長からもうひとつ驚くべきニュースがもたらされました。なんと!魏松さんが今ちょうど瀋陽にいらっしゃるというではありませんか!魏松さんというのは中国が誇る素晴らしいテノール歌手です。瀋陽のご出身ですが現在は上海歌劇院の副院長をなさって上海在住です。私も2005年6月18日周小燕教授の高弟ばかりが出演したコンサートで実際にその歌声に接し惚れ惚れと聞かせて頂きましたし、又その後中国に滞在中テレビなどでも、しばしばその美声に酔いしれておりました。

  その魏松さんが出身地の瀋陽でマスタークラスを行う為いらしてるというのです!
  孟院長から「明日貴方も歌劇院に来なくてはダメだよ!」とのお言葉を頂戴し本当に有難く感じました。
  瀋陽と違い上海では音楽関係の知人が殆ど無いに等しく(唯ひとり陳其蓮さんだけですので・・・・)苦労していることを薄々ご存知なのだと思います。こういう時中国の方達は友人、知人を紹介することによって助けてあげようと力を貸してくださいます。この大らかさはやはり大陸のものだとしみじみ感謝いたします。

4月12日

 朝9:30歌劇院にて陳黙さんに会い案内して頂きます。陳黙さんは今回私がひとりなのを知って、葉さんに代わってなにかと私の面倒を見てくれます。
  午前中レッスン風景を見学させて頂きました。突然のヨソ者の出現に皆が怪訝な顔で見るのでは・・・・などというのは全くの杞憂に過ぎませんでした

。後で分かったのですが、生徒さんの中には昨年の私のコンサートを聞いて下さった方もいらしたようで、皆さんのニコニコ顔に迎えて頂きました。
 午前中のレッスンが終わり、この右も左も分からない場所で私はどうやってお昼ご飯にありつけるのかな・・・と一瞬不安になりましたが、又々大陸の大らかさで魏松さんとのお食事に私も加えて下さるというではありませんか!

  日本だったらまずあり得ないな・・・と思いながら有難くご一緒させていただきました。

左から
張岩生さん、陳黙さん、私、魏松さん
遼寧歌劇院 孟欣副院長
同歌劇院合唱隊 楊玉平隊長

 午後も引き続きレッスンを見学させていただき、いったんホテルに戻り今夜は「瀋陽の家族」との再会です。李青姉とお母様(私の瀋陽のママ!)が私を食事に招いて下さいました。若々しく上品で美しいお母様は私の憧れです。

 李青姉とは食べ物の好みや洋服の好み、その他諸々通じ合うものが多く、やっぱり姉妹なんだ!と実感です。

 

 ところで今日、李青姉の元気の秘密が判明いたしました。 彼女は1歳半になるまでずっと母乳(しかも大変豊富な量の!)を飲み続けて育ったそうです。
  李青姉に限らずまわりを見回して「元気だな」とか「骨格がしっかりしているな」と思う方は、たいてい皆さん母乳をたっぷり飲んで育っています。やはり自然が与える母乳の力は偉大なんだなと実感します。
  ひき比べて私はといえば、母乳を飲んだのはわずか2ヶ月だけで、その後はひどい牛乳アレルギーの為毎日注射をしながら粉ミルクを飲んだそうです。ありとあらゆる努力を重ねて今は健康な体を保っていますが、もともと丈夫な体の方には到底かなわないなと感じることがたびたびあります。更に驚いたことには、李青姉は2日に1回プールで500mを25分(時には700mを30分で!)泳いでいるそうです。

  楽器でも歌でも演奏するのには、なんと言っても体力勝負ですから長い活動を目指す音楽家は皆陰で頑張っているのです、本当に。

4月13日

 午前11:00日本総領事館に行き長春でのご報告を阿部総領事にさせていただきました。
 
  クラシック音楽ということで予めある程度お客様の数と層を絞り込んで私に失礼のないように・・・・と長春側が気を遣って下さっている点に対してとても感謝はするものの、私としてはクラシック音楽に初めて接するような学生達などにこそ聞いてもらいたい、ということを総領事にお伝えしました。ごく一部のクラシック音楽ファンだけを対象とするのではなく一般の人々にクラシック音楽を聴いてもらいたい、というのが私の音楽人生に於ける一貫したテーマです。その姿勢は中国でも変わることはありません。だいたい評論家の受け売りだけしているくせに一端の通ぶってる頭でっかちな音楽ファンなんて私は好きじゃないし・・・。

  心の触れ合いが感じられる「草の根運動」が私の性に合っているのです。ですから秋の長春のコンサート会場は交通の便が良く沢山の人々が気軽に集まることの出来るような所でという私の希望を、総領事館を通じて長春の方へ伝えて頂くことに致しました。

 ところで今まで何かとお世話になっておりました森信幸領事に帰国辞令が出た為、次回6月に瀋陽を訪れた際には森さんとお会いできないのは本当に淋しく又心細い感じが致します。でも大丈夫、尊敬する阿部総領事が居て下さるのですから。総領事が力を入れてらっしゃる今秋の長春に於ける「ジャパンウィーク」の成功に向けて私も精一杯頑張りたいと思います。

 お昼を総領事とご一緒させて頂いた後、午後は再び魏松さんのマスタークラス見学のため歌劇院に向かいます。私の音大時代(いまや遥か昔のことですが・・・)にも大学が海外から招いた先生のレッスンを受ける機会がたびたびありましたので、その時のことを思い出し比較してしまうのですがやはりずい分違うのだなという風に感じました。

 日本の場合ですと偉い先生に対する畏怖の念と緊張感で会場全体がピンと張り詰めた空気に満たされますが、中国ではとてもリラックスしてレッスンを受けているように見えました。さらに一番驚くと共に感心したのは、先生(・・・と思われる方々)も生徒と一緒になって魏松さんのレッスンを受けていたことです。私の音大時代、先生方がレッスンを受ける風景など目にしたことはありませんでしたから。日本では先生と生徒の立場は厳格に分けられており、何があろうとも同じ土俵に立つことなどあり得ない、という感じが致します。しかしこれは芸術という高い目標に向かって進む時、果たして良いことかどうか私はおおいに疑問に感じますけれど。まあ幸い私は現在、教育という場におりませんので日本の音楽教育の場で生まれるであろうストレスからは開放されておりますが。

中国でのレッスン風景を見学しながら色々なことを考えた次第です。

4月14日

昼、遼寧省文化庁の孫浩さんと張皣琳さん、そして孟欣院長、李青姉、陳黙さんとご一緒させて頂き皆でお鍋を囲みました。

 思えば昨年6月初めて瀋陽を訪れた時にお会いしたのが、孫さん、張さん、孟さん、そして2回目に訪れた8月、李青姉、陳黙さんにお会いし今日にいたっています。
 瀋陽での最初の恩人ともいうべき方々とこうしてお鍋を囲みながらしみじみと幸せをかみしめました。

4月15日

数日間に及んだ魏松さんのレッスンが今日午前中で終了しました。午後歌劇院から瀋陽音楽学院の方へ移動しこの中にある小さなホールで各々がレッスンの成果を発表します。全員が歌い終わった後、魏松さんが彼の最もお得意とする歌「誰も寝てはならぬ」(プッチーニ作曲「トゥーランドット」より)を歌ってくださいました。本当に何度聴いても素晴しいのひと言です。もちろん相当の努力もなさったに違いありませんが、彼のこの声と体格は神から特別に授けられたものであると言えるでしょう。この美声が世界各地に響き渡ることを、同じアジア人として願わずにはいられません。でも瀋陽に滞在中の魏松さん、いくらなんでもお酒の飲みすぎではないの・・・と思ってしまったのですがこれって余計なお世話かな?ともあれお元気で世界を駆け回って下さいネ。

4月16日

夕方上海へ戻られる魏松さんの出発までの間、お別れパーティが開かれ私も参加させて頂きました。この何日間かの夜と同様、あるいはそれ以上に昼から大変な盛り上がりで皆さん食べて、飲んで、歌って、踊って・・・・中国の東北人は特別に人生を楽しむ達人揃いなのかもしれません。

4月17日

沢山の楽しい思い出を胸に瀋陽を後にし、いったん上海へ向かいます。いくつかの用事をこなすため上海で数日過ごし東京に戻りました。

この度のひとり旅は私自身にとっては大変充実した中身の濃いものでした。でもまわりの方々は私のたどたどしい下手くそな中国語を理解するのにさぞかし疲れ面倒であったに違いありません。それにもかかわらず毎日毎日色々な方からお声をかけて頂き本当に心から感謝すると同時に東北人のあたたかさ、優しさに胸が熱くなりました。もっともっと中国語を勉強し、もっともっと彼等に近づきたいと決意は大きく膨らみ(でも脳細胞は縮む一方ですけれど・・・)ました。

この度の旅行でひとつ残念だったのは瀋陽でとうとう桃の花の写真を撮る機会がなくホームページをご覧の皆様にお見せできないということです。

 私の滞在中ちょうど桃の花が満開でした。桃の花と言っても私達が日本で見る桃の花とはずい分様子が異なります。日本の桃のような濃いピンク色ではなく殆ど白に近いピンクで花の大きさも日本のものと比べると小さめです。ですから大変美しいなとは思ったものの教えてもらうまでそれが桃の花だとは思いませんでした。この可憐な桃の花を是非ご紹介したかったのですが自分ひとりで気ままに歩き回る、という時間がなく常に車に乗って移動していたため、ついに写真を撮ることができませんでした。ごめんなさい。

―――魏松さんとのこと―――

 4月瀋陽で偶然お会いした訳ですが5月には日本でコンサート出演なさるとのことで時を経ることなく再会することになりました。
  4月瀋陽で陳黙さんから「先生が日本に行ってる間、宜しく・・・」と言われておりましたし、音楽を通じて日中友好を実践してゆこうと思っている私ですからお役に立てるのであればこれ程嬉しいことはありません。
 
  5月10日の名古屋でのコンサートの少し前から私も名古屋に入りました。果たして本当にお役に立つことができたのかどうかは良く分かりませんが・・・・。
  又これと前後して7月大阪で魏松さんと一緒にコンサートに出演することが決まりました。本当に“縁”とは不思議なものです。俗に言う「縁がある」といのはこのように偶然が重なり自然と縁が結ばれ連ってゆくことを指しているのでしょう。

―――韓明さんとのこと―――

 よく考えてみるとこれも全て最初に瀋陽へ私を導いてくれた韓明さんのおかげです。この韓明さんは今カナダにいます。
 カナダへの移住が決まり5月23日日本を離れました。この一年半中国語を教えて頂き、私の中国での音楽活動のため色々とご尽力いただきました。彼女が日本にいなくなることは私にとって本当に淋しく辛いことですが、彼女の新しい未来のため心から祝福したいと思います。
 
次に会う時まで私ももっともっと努力し成長(老化ではなく!!)した姿をお見せしたいと思います。もっとも今はネットで世界がごく近くに結ばれている時代です。

実はこれからも私のホームページの翻訳は彼女が担当してくれるので、活動の様子はずっと見守ってくれることでしょう。
謝謝 韓明!再見

成田空港にて韓明と


gallery


遼寧歌劇院 車英院長、魏松さん
遼寧省広電局李厚朴局長、私
魯迅美術学院韋爾申院長
瀋陽音楽学院張副院長


遼寧歌劇院 田副院長

遼寧人民広播電台文芸台 暁君総監


遼寧大劇院 李税経理

遼寧省委宣伝部 文芸処 林建宇処長

瀋陽音楽学院潘兆和院長


瀋陽音楽学院 劉輝副院長

左から
李総経理、暁君総監、
魯迅美術学院 趙宝平教授、
劉輝副院長、韋爾申 院長

これ何だか分かりますか?蚕です!でもすごく美味しいです。

前列左より
單大軍 さん、劉銘さん、私、王暁春さん
後列左より
劉銘さんのお嬢さん、宋小玲さん(李侃夫人)李侃さん

宮云湘さん、宮月蛾さんと



前列左より 
劉銘さん、私、
遼寧省総工会 婁彦莉副主席
後列左より 
吴平さん、陶春さん

 


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