これまでのレポート

楊貴妃になってみて

 私の中国語の先生である韓明さんのお力添えのお陰で今年10月瀋陽に於いてコンサートを開催できることになりました。 まずは瀋陽に行き関係者の方々とお会いすることになり6月中旬初めてこの地を訪れました。
 遼寧省文化庁の方々とお会いしコンサートについての話し合いをさせていただいたのは言うまでもありませんが何と!京劇の本格的なメークをして衣装を着るという私の長年の夢がここで叶えられたのでした。
  瀋陽京劇院の俳優さんや裏方さんがたくさん手伝ってくださいました。京劇のメークは本来役者さんが自分自身でするらしいのですが、私はただ座って俳優さんにして頂くだけ・・・
なんとメークだけで1時間半もかかってしまうのです。素人の夢を叶えるだけの為なのにあまりにも丁寧にお化粧をしてくださるので途中からなんだか本当に申し訳なくなってしまいました。京劇のメークの特徴は「目のつり上げ」にあります。糊をつけたテープをこめかみにあててそれをグイッと上に引っ張ります。こうして猫のような目の出来上がりです。
私が今回着させていただいたのは「楊貴妃」の衣装でした。頭の被り物は少々重たい感じがしましたが全体的には、以前オペラ「喋々婦人」で喋々さんを演じた時の和服のようには重くありませんでした。京劇は飛んだり跳ねたりが激しいので余り重い衣装では無理なのでしょう。最後は本舞台に照明を入れてくださって皆で撮影をさせていただきました。中国人の方達でさえ普通にはできないような体験をさせていただき本当に感謝感激でした。このご恩返しに10月には瀋陽の皆様に心を込めて歌わせて頂きたいと思っております。
十字屋ホール「モーツァルトを語る午後」   2006年6月27日
 
 このところ曇り空続きで鬱陶しい毎日でしたが、見事晴天に恵まれ、ラッキーなスタートとなりました。
今年はモーツァルトイヤーということで、平素ドイツ物は歌わない私ですが、ピアニストの斎藤雅広さんとの共演で、「モーツアルトを語る午後」と言うコンサートに出演しました。
斎藤さんとは、以前王子ホールでのコンサート時に伴奏をお願いした旧知の間柄ですが、落語家顔負けのお話にいつも会場は大爆笑、というスタイルは健在でした。
 
 1部はまず、斎藤さんがモーツァルトの人となりを簡単に紹介、モーツァルトは交響曲やらピアノ協奏曲やら一杯書いているけれど、実は彼の真髄は歌劇(オペラ)にあり…と言うところで私が登場。
 すみれ、春への憧れといった歌曲の後、「魔笛」の“愛の喜びは露と消え”、「椿姫」の“ああそは彼の人か~花から花へ”とアリアを2曲続けて歌い…。なぜここにヴェルディが登場したかというと、モーツァルトは後のオペラ作曲家にとって母親のような存在という斎藤さんの説明がつくのですが、後の作曲家として私が選ぶならヴェルディかなということで椿姫になりました。

 椿姫が終わったところで幕間のティータイム。姉の友人でお菓子のスペシャリスト(お菓子好きが高じてコルドンブルーでディプロマ取得、プロフェショナルコース終了1期生)がモーツァルトも食べたであろう当時のウィーン菓子を再現、お客様に提供してくださいました。このお菓子はあっという間に皆様の胃袋に、私達出演者の口には入りませんでした。残念!


皆様に召し上がっていただいたウィーン菓子

 モーツァルトのオペラにはドイツ語ではなく、イタリア語のもの(フィガロの結婚やドンジョバンニなど)も結構ありますが、2部の最初に選んだのは、「ツァイーデ」というモーツァルト未完のオペラの中の“安らかに憩え”、ドイツ語のアリアでした。 今回はじめての演奏でしたが、とてもきれいなメロディーでなかなか評判がよく、この曲を私に歌うように推薦して下さった斎藤さんに感謝。慣れないドイツ語の歌詞を覚えるのは、日々脳細胞が消滅している身には厳しいのですが、頭を活性化させるいい機会にもなりました。
 
 斎藤さんが著名なピアニストの弾き方を真似て、弾き比べをした時は、会場笑いの渦。斎藤さんお得意のショパンも登場、私も最後にフィガロの結婚からアリアを2曲歌い、トークも加わったトータル16曲の盛りだくさんコンサート、楽しく終了しました。

十字屋中村社長、斎藤さんと

「上海ウェディング」 2006年4月

 年齢的に私自身の友達の結婚式によばれるということは皆無に近くなり、といって、友達の子供の結婚式はまだちょっと早すぎるといった具合で、最近日本ではあまり結婚式に出席することがなくなりました。
  そんな矢先、上海の友人の姪っこの結婚式で、是非歌って欲しいとリクエストがあり、私は二つ返事でオーケーしました。
 友人の姪っこは、上海の日本企業に勤め、昨年の上海コンサートの時も、会社にポスターを貼ってくれたり、時には通訳をかって出てくれたり、私も大変お世話になった女性。
 結婚式の会場は瑞金賓館というお庭がきれいなホテル。
 午後4時半から、そのお庭で約1時間の人前結婚式、祝辞は新郎新婦の学校時代の恩師一人だけ。式の後6時からは建物に入って中華料理での宴会が始まり、新婦はウェディングドレスで登場…と日本とほとんどかわらないパターンです。お色直しはロングドレスとチャイナドレス(ここが日本ならお振袖)、お客様は普段の服装で気軽に参加していました。
 列席者200名というのは、日本にしたら多いほうでしょうが、何しろ総人口が多い国なので、こんなものかな?と。私はこの宴会の一番最後に歌ったのですが(キャッツのメモリー、月亮代表我的心、椿姫の乾杯の歌の3曲)、こんな喧騒の中でどうしようと思っていたら、音楽が鳴り出したとたん、ピタッと静かになりびっくりしました。日本の○○祝賀パーティーなどでは、音楽が鳴り出しても、演奏が始まっても、話し声がその音量を上回る…なんてことがままあるので、うれしい驚きでした。


上海コンサート・リポート Vol 3 2005年11月

 11月19日私の初めての上海コンサートはお蔭様で大成功。大いに満足、感謝していますが、このコンサート、実は日本のテレビでも紹介されたのです。
CS放送epチャンネル「アジアンビュー」中国編という番組のスタッフが上海へ同行取材してくれて、今年1月の毎週金曜日に放映されました。CS放送は受信できる方が少なく、見ていただく機会が少なかったのは残念したが。内容をかいつまんでご紹介しますと…
 
 私が11月14日に上海へ到着してから、野外ステージ、リハーサル、コンサート本番、ファンキー末吉さんとの対談、日本からのツァーの方達と中国でお世話になった方達との打ち上げパーティーまでを約30分の番組に構成したもの。
 ファンキー末吉さんは、皆様もご存知と思いますが、一時一世を風靡した《爆風スランプ》のメンバーの一人。早くから中国に着目、演奏の拠点を北京に移されてから久しい方ですが、この番組の司会をなさるため、上海に駆けつけてくださいました。ロックとクラシック、一見何のつながりもない様に思われますが、お話してみると、ミュージシャン同士音楽への熱い気持ちは同じでした。
 
 私は音楽にクラシック、ジャズ、ポピュラーなどと線引きをすることにあまり賛成ではありません。ジャンルにこだわらず、いい音楽は何でも受け入れる…そんな姿勢で上海のコンサートにも臨み、ミュージカルナンバー、ポピュラーソングも歌いました。これからも、この姿勢は変わらないでしょう。
ファンキーさんからインタビューの中で、中国のお客様のことを聞かれましたが、中国のお客様は、反応がダイレクトなので、演奏するものにとってはそれが怖くもあるけれど嬉しい。自分が受け入れられているかどうかがすぐにわかるから私
は楽しいと答えました。

打ち上げパーティー
ファンキーさん、私、ディレクター

 
コンサートの翌日は、日本からのツァーの方達と一緒に、バスをチャーターして蘇州へ一日観光に出かけ、夜はツァーの24名と中国の方達を合わせ約80名で、旬の上海蟹でうち上げパーティー。日本語、中国語、英語が飛び交い、それはそれは楽しく賑やかな宴会になりました。
 
  早いもので上海コンサートから4ヵ月が経過しました。たくさんの方に助けていただき、第1回目としては大成功だったと感謝しています。そして今、今年の秋の上海コンサートに向けて準備中です。夏にはコンサートを開いた賀緑汀音楽庁でのレコーディングも予定しています。(内容は未定。詳しくはインフォメーションページをご覧ください。)
 3回に亘ってお届けした「上海コンサートリポート」は、今回で終了いたしますが、このページでは演奏リポートだけではなく、私が上海で感じた音楽的な動きなども随時ご報告するつもりです。                  
再見

上海コンサート・リポート Vol 2

野外ステージのお陰?コンサートチケット完売!!

コンサート本番を2日後に控えた11月17日、南京路(銀座の歩行者天国のような所)の野外ステージに出演することになりました。図らずもこの時が、私にとってたくさんの中国人の前ではじめて歌うステージとなりました。冷たい風を受けながら舞台で音合せをしている内に、人垣がどんどん膨れ上がって、午前11時スタート。中国語で簡単な挨拶をして、中国の歌を2曲と「メモリー」「春の声」を歌いました。

この野外コンサートは中国上海国際芸術祭の一環として企画されていたので、歌った後に主催者から芸術祭参加証明書とやらが授与されました。この証明書があると今後上海での活動がスムースにいくとか??
寒風吹きすさぶ野外での演奏の後なので、ピアニストの梶浦さんも私もしっかりと着込んでいるのがお分かりいただけますか。
18日はコンサート前日のため、午後ホール(賀緑汀音楽庁)でリハーサルを行いました。このホールはウィーンの学友会館ホールをお手本に作ったとされるシューボックス型のコンサートホールですが、扉は一重、ホールの上が練習場になっている為楽器の音が漏れたり…ということもあるようです。でも、私のコンサートは土曜日の夜なので多分大丈夫でしょう。リハーサル中に嬉しいニュースが飛び込んできました。野外コンサートの後、チケットセンターに残っていたチケットが完売になったとのこと。
残っていたチケットを買ってくれたのは全員私をはじめて見た中国人。私にとって一番嬉しい出来事でした。
11月19日(土)午後7時15分上海コンサート開演。私のコンサートは、99パーセント天候に恵まれますがこのジンクスは中国でも変わらず、コンサート当日も暖かい晴天でした。日本からツァーで参加してくださった方々、在上海邦人の方は、開演20分前には到着。中国のお客様は開演ぎりぎりに来場、1曲目を終えたところで、大挙して客席へ。こんな所にもお国柄が表れていました。

コンサート会場には未就学児童の姿もチラホラ見受けられましたが、大きな声を出したり、ぐずったりすることなく、実に熱心に耳を傾けてくれました。中国の会場では年中携帯電話の音に悩まされるので、このたびも覚悟を決めていたのですが、なんとコンサートの間中一度も携帯着信音が鳴りませんでした。ちょっと拍子抜けというか・・・
生音のクラシックコンサートでは携帯OFFというマナーがほんの短い間に、上海でも行き渡ったのでしょうか。ビックリの連続でした。
コンサートは15分の休憩を挟んで9時前に終了。アンコール4曲の最後の曲「夜来香」の時は私もマイクを持って客席へ降り、皆さんと握手しました。
コンサートを通して、私が何を感じたか。又このたびの上海コンサートに同行取材してくださったCSテレビのこと、その番組のインタビュアーのファンキー末吉さんとのお話、などは次回のこのページで。


ヤマハインストアイベント
  2005・12・10(土)午後3時~  
 
銀座ヤマハ1F 

11月の上海コンサートの模様を報告がてら、銀座ヤマハで店頭コンサートを行いました。ヤマハのインストアイベントはこのたびで4回目、毎回聴いて下さる顔なじみの方も増えました。
いつもは歌とトークの両方を一人で行うのですが、今回はちょっと雰囲気を変え、ヤマハの宮崎氏が進行役をつとめて下さり対話形式、中国の曲をアンコールも含め4曲、日本の曲1曲、そして12月なのでカッチーニのアヴェマリアを歌いました。中国の歌は結構ポピュラーな曲でも韻を踏んでいて響きが美しいので、最近日本でも人気が高いのだと思います。
中国曲のCDは?の質問がたくさん寄せられました。今年中に作りましょう!!


クリスマスディナーコンサート
     2005・12・23(祝)午後6時半~ 高輪プリンスホテル貴賓館
クリスマス恒例、高輪プリンスホテル・貴賓館でのディナーコンサート。今年も70余名のお客様が、クラシックな洋館でのクリスマスディナーとチャペルでのコンサートにお集まりくださいました。
このコンサートは年1回クリスマスにしか歌わない「聖夜」「オーホーリーナイト」といった曲が大半を占めますが、オペラのアリアを聴きたいという沢山の方のご要望に応え、今年は“トスカ”の中から「歌に生き、愛に生き」を加えました。

私が赤いブックカバーの楽譜を持って歌っているのは、ピアニストの梶浦晃代さんが編曲して下さった讃美歌メドレー。平素コンサートで楽譜を持って歌うことは皆無で、すべて暗譜するのですが、なんとなく讃美歌は楽譜を持った方が様になるかな~と、手作りした楽譜を持って歌いました。教会っぽい雰囲気が出ていませんか?
アンコールは、2005年1年間の感謝と2006年の平和と健康を願って、中国語バージョンの「聖夜」で締めくくりました。



上海コンサート・リポート Vol Ⅰ
       2005・11・19のコンサートを挟んで
3年前から温めてきた“上海でコンサートを開きたい”という夢が、昨秋いよいよ現実のものとなりました。
コンサートを開くといっても、最初は何から手を付けたらよいかわからない状態でしたが、中国語を勉強しながら、足しげく上海に通ううち、私の夢に賛同してくれる人の輪がどんどん広がり、気が付いたらコンサート会場は満杯という、我ながらビックリするほどの大成功を収めることが出来ました。今月から3回にわたって、上海でのコンサート模様、ご報告したいと思います。
11月19日のコンサートのポスターを貼ってくれた楽器店。
日本と違って“ポスターを貼らせてください”とお願いすると、殆どのお店が、どうぞと
快く引き受けてくれる。稟議とか、たてまえとか、堅苦しいことは抜き、大陸的なおおら
かさに感謝。
10月初め、上海演出広告公司(この度のコンサートを仕切ってくれたマネージメント会社)が、浦東時代広場の大型スクリーンに、私のコンサートの広告を載せてくれた。10月18日から1ヶ月間第7回中国上海国際芸術祭が大々的に開かれ、チョン・ミュンフン、ヨー・ヨー・マ、小沢征爾など世界的アーティストが上海を訪れることになっていて、その宣伝がこの大スクリーンで行われている。私もそのシッポにお仲間入り、6~7分おきに1時間に10回ほど登場。この広告はコンサート前日まで続いた。
11月19日のコンサートの1週間前から、会場となる賀緑汀音楽庁の入口に高さ4メートル、幅6メートルの大きな看板が掲げられた。このホールは上海音楽院というアカデミックな空間にあるため、広告看板は1週間に限られるとのこと。コンサートへ向けての準備は着々整いました。

コンサートを2日後に控えた11月17日(木)南京路の歩行者天国に面した世紀広場の野外ステージに出演。
これは、大型スクリーンで宣伝されていた中国上海国際芸術祭の為に設けられた特設会場で、この期間中連日イベントが催されている。コンサートの宣伝にもなるし、いい機会だ
からと、このイベントへの参加を演出公司が手配してくれた。
実はこのステージは午前中、それも寒風吹きすさぶ野外で、マイクを使って……と慣れないことばかり。一体どうなることでしょう。

この続きは次回をお楽しみに。

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