松井 菜穂子 Soprano
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1月瀋陽レポート

 2006年10月瀋陽での初コンサートの時、私は舞台の上でお客様に向かって「一番寒い時期に又瀋陽に来ます。」と公言してしまいました。

 8月の記録的な暑さの日に生まれた私は夏には滅法強くたいていの人がゲンナリしてしまうような日でもいたって快調、生まれてこのかた夏バテの経験なし、夏こそ元気にモリモリ食べる・・・という具合です。これは裏返せば冬には弱いということで寒いのはかなり苦手です。子供の頃から私も熊のように冬眠でもできたら良いのに・・・といつも思っていた程です。

 そんな私が、マイナス20℃の瀋陽へ出かけてゆく・・・これはもう大変な出来事なのです。しかしいったん約束したら男でなくともやり通さないと“女がスタる”という訳で瀋陽行きを決行。

 暮れからひいている風邪がいつまでもグズグズと治らず不安材料を抱えたまま出かけることになりました。瀋陽には尊敬する阿部総領事、すっかり気心の知れた音楽仲間、音楽とは関係ない友人達などなどお会いしたい方々が沢山いらして私の滞在予定日数ではとても全部の方とはお会いできないかも・・・・と思う位です。なかでも今回一番楽しみにしているのは前回瀋陽のレポートでもご紹介した林与志男様が日本語を教えていらっしゃる瀋陽航空工業学院の学生さん達との交流会です。日本語を学び日本に対しての関心も高い若い学生さん達とじかに触れ合う機会は私にとっても大変貴重な経験となる筈です。

 1月18日林様ご夫妻とお昼をご一緒させて頂きそのまま大学のキャンパスへ向かいます。


林様ご夫妻と職員室で


 

 まずその敷地の広さに圧倒されます。この中に校舎、食堂、講堂、先生方の宿舎、学生寮、売店、等々なんでも揃っているようです。それにしてもこの中を移動するだけでも相当な運動量になるのではないでしょうか。

 さあ いよいよ外国語学部日本語専科の学生さん達の待つ教室へ足を踏み入れます。「熱烈歓迎歌唱家松井菜穂子女士」の赤い横断幕にまず驚きます。随分前から彼らが今日のため色々と準備をしていたのだな・・・と改めて感激です。

  最初に林八重子様からご挨拶と私の紹介、次に日本語科主任の 佟丈玉先生から歓迎のスピーチ、そして私が簡単なスピーチをして次はいよいよ学生さんからの質問に答えるコーナーです。日本語専科の学生さんですから、私は下手な中国語を話す必要はなくいたって気楽です。まだ日本語がそれほど上手でない下級生のために司会と通訳を兼ねて最上級生のなかから選ばれた呉芳さんと于慶軍さんが進行役を勤めています。殆どの質問は歌手としての私に関する質問ですが、中には「肌の綺麗な秘訣はなんですか?」というような思いがけない質問もありました。どの質問に対しても私も出来るだけ誠実に答えようと真剣です。これから長い人生を送ってゆく彼らにとってほんの一瞬ともいえる数時間であってもその二度と戻ってこない数時間が決して無駄なもので終わることのないように私なりに精一杯応えてあげたいと思うからです。

 質問の後本当なら私が数曲歌う予定でしたが風邪で喉を痛めているので申し訳ないけれど歌は次回にということにして頂き学生さん達の歌を私が聞かせて頂きました。

 中国の歌、モンゴルの歌、そして合唱の皆さんは日本の歌。合唱の皆さんはどこからこれだけ沢山の和服(・・・に似た物!)を用意したのかしらと驚くと同時にこのようなちょっとしたイベントにも精力を傾ける彼らの前向きな姿勢に感動しました。
 その後大学の近くにあるレストランでのお夕食会にも参加させていただきました。親元から遠く離れてここで学んでいる学生さんも多くそういう彼らにとって林様ご夫妻をはじめとする先生方は父、母、兄、姉のような存在なのだな、と改めてその絆の深さに感心させられました。
 今回このような機会を通して私も若い人達から沢山の感動を与えられました。何より印象に残ったのは“私はこの大学の誇りとなるよう頑張ります。”“この国の誇りとなりたいです。”という言葉でした。若さってなんて素晴らしいのでしょう!思わず目頭がジーンと熱くなりました。又夕食会の席で1年生の女の子2人(中国は9月新学期ですから1月のこの時点では日本語の勉強を始めて4ヶ月くらいということ。)が私のそばに来て一生懸命日本語で話そうとしていたことも大変印象深いです。この積極性があれば言葉の習得はきっと早いに違いありません。


さすが航空工業学院というだけあって
広いキャンパスに本物の飛行機が沢山ありました。
生き生きとした若木のような彼らと再び会えることを願いながら
今日はひとまずお別れです。
 

 このたびの瀋陽ではこの他沢山のことがありました。その様子は写真でご覧下さい。


 マイナス20℃と聞き戦々恐々として出かけた私でしたがたまたま私の滞在した1月17日~23日は例外的に暖かく風も吹かずちょっと拍子抜けした位でした。寒さに弱い私へ神様が助け舟を出して下さったのかも知れません。

 昨年夏に見た市内の河は全て厚い氷が張って人々はその上を歩いていました。東京しか知らない私にはとても珍しい景色に映りました。歌を通して沢山の人に会えたこと、人生に於いてはじめての寒さを体験できたこと、風邪が治らず肉体的には辛かったですが、とても有意義な旅だったと思っています。   再見!!



 2007年2月12日(月、祭日)ミューザ川崎シンフォニーホールにてバレンタイン・ガラコンサートが行われました。川崎区文化協会創立15周年記念コンサートです。川崎の行事に渋谷在住の私が参加させていただけることになったのには、ちょっとした訳があります。川崎区文化協会の中心メンバーのお一人でいらっしゃる菅沼邦夫様が私の歌を大変贔屓にしてくださり色々応援をしてくださるようになってから既に10年近く経ちますが、その菅沼様がミューザ川崎シンフォニーホールの大舞台で東京交響楽団の演奏で私が歌うのをどうしても一度聞いてみたい、との強い思いからこのたびの会に私を推薦してくださったのです。

 歌手冥利に尽きるこのようなお計らいを賜り私もベストを尽くしてご恩に報いようと決心しました。それにはなんと言っても体調管理なのですが、1月の瀋陽行きは私の体に思いのほか強いダメージを残しており帰国してからもなかなか回復いたしません。喉が痛いからとか、熱があるとかなら(重大な後遺症は残りますけれど)何とか無理して歌うことは出来るのですが咳が止まらないというのは歌う場合には致命傷であります。
  そして今回はまさにその咳が止まらないという症状なのです。今までの人生を振り返って歌を歌ってきて本当に幸せだったと思うことばかりですが、本番を目の前に控えて体調を崩しているときの苦しさと言ったら、それら数え切れない程の幸せな思い出が全て真っ黒に塗りつぶされてしまうほどで、その苦しさを言葉で表現するなど到底無理でしょう。とにかく地獄の苦しみとはこのことかと思う位なのです。そのコンサートを楽しみに前々から都合をつけてチケットをお求め下さっているお客様に対して申し訳ないと思う気持ちとだからこそ一刻も早く体を元に戻さなくてはと焦る気持ちから神経ばかりがとんがって無理やり体を横たえているベッドのなかで頭だけが妙に冴え渡り休む所ではなくなってくるのです。

 そして今回は菅沼様に対して申し訳ないという気持ちが更に私を苦しめます。しかし神に祈りながらただひたすら耐えるしかないのです。やがてその思いを神が聞き届けてくださいました!!

 本番の直前に何とか咳が止まって声が出せるようになりました。神様 ありがとうございます!!本当にありがとうございます!!

こうもりのアデーレのアリアでは川崎市長阿部孝夫様に侯爵ことアイゼンシュタイン氏を演じていただきました。

(以上ガラコンサート写真は小野望さん提供。)

 このコンサートで私が歌うのはヨハン・シュトラウスの「春の声」同じくJ.シュトラウスのオペレッタ“こうもり”から「侯爵様ご覧遊ばせ」そしてヴェルディのオペラ“椿姫”から「ああそは彼の人か~花から花へ」です。このたびの公演は記念行事ということでコーラスあり邦楽あり日舞ありマリンバの独奏あり・・・・と盛りだくさんなので時間的制約も多く前日のオケ合わせもさっと1回合わせただけですぐいきなり本番です。しかし不思議なことにこの音響の素晴らしいホールで松村正吾さん指揮のオーケストラと私の歌は何年も前からの友人のような呼吸で寄り添うことが出来たのです。

 奇跡とも思える回復のお陰でこの場に立たせていただくことが出来私の体中の細胞ひとつひとつが感謝と喜びでプチプチと弾けているような感じがいたしました。

 実は川崎と瀋陽は姉妹都市の関係にあるのです。姉妹都市としての今後の交流の場でささやかではありますが私も何かのお役に立てることができればこの上ない幸せだと思っています。

菅沼邦夫さんと川崎区文化協会の皆さん 酒井靖恵会長と皆さん


後日談

 このコンサートの直前2月9日から11日にかけてシャルル・アズナブールのさよならコンサートが東京で公演されました。

 バレエのマヤ・プリセツカヤとシャンソンのシャルル・アズナブール、この二人は私にとって特別な存在です。舞台に登場した途端、踊り出す前、あるいは歌い始める前からもう涙が出てきてしまうのです。世界中には素晴らしいアーティストが沢山いて沢山の感動を与えてくれますが、この二人はとにかく特別な存在なのです。説明できる種類のものではありませんが・・・・。

 ですから彼のさよなら公演を知って発売と同時にチケットを買い求め、ずっと楽しみにしてきました。私のゲネプロが2月11日ということは早くから分かっていたので10日にチケットを買っておきました。

 そして10日を目の前にした9日の夜 --------どうにかやっと間に合って体が回復したばかりなのに、この人混みの中へ出かけて果たして大丈夫なのかどうか考えた末、私は涙を飲んでチケットを友人にプレゼントすることにしました。“断腸の思い”とはまさにこのことだと思いましたが私には大切なお客様があるのです。悲しいけれどアデュー・・・・

 しかし思いがけないニュースが入ってきました!13日名古屋で最後のコンサートがあるというではありませんか。調べたら当日券もあるらしく・・・・私は急遽新幹線に飛び乗り名古屋に向かいました。恋人に会いにゆくような心境ですが、何せ貧乏性の私ゆえただ座っているというのは耐え難く、駅で文藝春秋を買って芥川賞受賞作“ひとり日和”に目を通して見ることにします。今回の受賞作にはまあ納得。

 そしていよいよアズナブールを目にし・・・やはり涙がドッと出てしまいます。休むことなく歌いっ放しの約2時間私はずっと泣きっ放しでした。

 歌がこんなにも人を感動させるなんて・・・・。ジャンルは違いますが私も歌を歌う人間としてたとえ到達できなくとも目指すは感動を与えられる歌い手になること・・・・としみじみ思いました。歌を追求するだけでなく人間として奥行きのある深い人生を追求すること、やらなければならないことは沢山です。

 まずは己の健康管理に十分注意して何事にも精一杯真心をこめて接してゆこうと思います。

 次は4月の瀋陽、長春レポートです。どうぞお楽しみに!


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