松井 菜穂子 -Soprano-レポート
松井 菜穂子 Soprano
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長春ジャパンウィーク

 日中国交正常化35周年の記念行事として本年9月20日から24日までの5日間、吉林省長春市に於いてジャパンウィークが開催されました。
20日の開幕式に参加すべく19日に長春入りを致しました。私のコンサートは最終日の24日ですが それまでの間、茶道の紹介、日本語弁論大会、浮世絵展、日本映画の上映会などなど様々な催しが行なわれました。それらについての詳細は駐瀋陽日本国総領事館のホームページ(www.shenyang.cn.emb-japan.go.jp)をご覧下さいませ。
 
   
開幕式にて   阿部瀋陽総領事のスピーチ   同左 阿部総領事と私
このレポートでは私のコンサートのみご報告させて頂きます。

 長春ジャパンウィークは 私が尊敬する阿部瀋陽総領事が今年最も力を注いで取り組んでいらしたイベントです。ですから私もできるかぎり頑張ってお手伝いさせて頂こうと思っておりました。そんな私の強い思いに神が応えて下さいました。今年4月偶然にも中国が世界に誇るテノール歌手 魏松(ウェイ ソン)氏と知り合うチャンスに恵まれました。(これについては以前のレポートでも既に書きましたが・・・)

  元々今回のコンサートのテーマは「日中文化交流」ですので中国の演奏家との共演を考えていましたが、まさかこれほどビッグな共演者にめぐり会えるとは!!
彼の力をお借りすればこの公演は必ずや素晴らしいものとなり、安部総領事や吉林省の関係者の方達に対して大変なご恩返しができると考え、魏松さんに出演交渉をしたところ、快く引き受けて下さいました。そして同時に素晴らしいピアニスト 張亮さんも紹介して下さいました。(これについても以前のレポートをご参照ください)

 魏松さんとは今年7月に大阪で一度ご一緒させて頂きましたが中国での共演はこの長春がはじめてとなります。そして3人の共演はもちろん今回がはじめてです。

 9月22日、上海から魏松さんが長春に到着します。
昼過ぎの飛行機で夕方 長春に到着ということでお迎えの車など準備万端整いました。
すると突然12:00過ぎ、私の携帯にメールが・・・。見ると魏松さんからのメールで「車の事故があり、行かれなくなった。」という内容です。
これを見ただけではどの程度の事故なのか、「今日行かれなくなった」のか或いは「このコンサートに行かれなくなった」のかさっぱり様子がわかりません。しかし時間が経つに従い、次々と情報が入って参ります。それによれば命に別状はないけれどひどい怪我を負って入院、手術というではありませんか。なんということでしょう!!
しかしここで弱音を吐く訳にはゆきません。なんとしても頑張って公演を成功させなくては関係各位の皆さんに対しても申し訳が立ちません。魏松さんの容態もすごく気になりますが、まずは目の前のコンサートに集中することだけを考えるように致します。

  しかしこれはそれほど簡単なことではありません。中国と係りを持つようになってからずいぶん精神的に鍛えられたとは思っていますが、元々体も精神も「タフ」とは程遠い私ですのでこういう場面ではものの見事にへこたれてしまいます。
私のひどい落ち込みぶりを心配して阿部総領事、総領事館の翁鉄軍さん、吉林省文化庁の張志強さんや朱紅さんなどなど皆さんが優しく励まして下さったり一緒に夕食を囲んで下さったり・・と暖かいお気遣いをして下さいました。
こうして周囲の方々に優しく支えられ暖かく見守られる中、だんだんと私も元気を取り戻しました。

 そして迎えた24日。お天気はいつもの通り、晴れ。(もっとも「晴れ女」の私でなくともこの時期の長春は晴れるのが普通なのかもしれませんが・・・)
急きょ魏松さんのピンチヒッターとして吉林省歌舞院のテノール歌手劉粮さんが2曲歌って下さることになりました。とても素晴らしい「人柄」と「声」の持ち主の方でした。

  今日のプログラムの中にある「浜辺の歌」は阿部総領事のお好きな曲ですので魏松さんもそれならばと日本語で歌うことに同意して下さり、前回上海で一緒に練習をして参りました。二人分の心をこめて歌わせて頂きましたので総領事も大変感激して下さいましたけど 魏松さんの「浜辺の歌」をお聞かせできなかったのは本当に残念に思います。
いつか又あらためて機会を作ることにいたしましょう。

 
 ジャパーンウィーク参加のコンサートですから「日本の美」を中国の皆様にお伝えしたく京都にてドレスの上から羽織る「打掛け」を特注いたしました。ご協力頂きましたのは「ゑくらどうる」の山口三惠子さま、「成謙工房謙蔵」の渡辺賢太朗さまです。

  さて この日のプログラム最後の曲は魏松さんの歌う「誰も寝てはならぬ(トゥーランドットより)」で華やかに終わる予定でした。この曲は中国で最も知名度の高いアリアと言っても過言ではないくらい大変人気のある曲ですし、魏松さんと言えばイコールこのアリアという位彼のお得意中のお得意の曲ですので この夜のフィナーレを飾るのにもっとも相応しいと思って私が決めました。
しかしその魏松さんはここにいません。 でもプログラムに書かれているからにはお客様もこの曲に対する期待を捨てきれずにいることでしょう。幸い私はこの曲を歌えるようになっていました。(このいきさつについては前号のレポートをご覧下さいませ。)そこで私が代わりにこの曲を歌うことにし 歌う前に中国語でこのように話しました。

「本日最後の曲は魏松さんが歌う筈でした。しかしとても残念なことに彼は来られなくなりました。ですから今日は私が彼の代わりにこの歌を歌います。そして又魏松さんの一日も早い回復をお祈りしてこの歌を彼に奉げたいと思います。この歌の最後の歌詞は“私は必ず勝つ”というものです。私は魏松さんも必ずこの困難に打ち勝って 又 素晴らしい歌を聞かせてくれると信じています。」

ビデオがないので確認のしようもありませんがこの歌を歌っている私の全身から炎が立ちのぼっていたに違いありません。アンコールに応えて劉さんと「乾杯の歌」、そして客席に降りてお客様と握手しながら「同一首歌」を歌い 本日のコンサートは終了となりました。
テノールの劉粮さんと「乾杯のうた」 アンコールでは客席に降りて「同一首歌」をうたいました。
 
左から司会を務めて下さいました吉林省地方戯曲劇院の蘇中強団長、劉粮さん、私、張亮さん

 コンサート終了後 私共の今回の宿泊先である紫荊花飯店に移動しここで閉幕式及び閉幕パーティがとり行われました。

閉幕式にて阿部総領事と一緒に乾杯の音頭をとらせて頂きました。 閉幕式パーティーにて 左から吉林省人民対外友好協会 范飛会長、私、吉林省文化庁馬玉英副庁長 閉幕式パーティーにて 総領事、張亮さん、私

 こうして5日間に及んだジャパンウィークは幕を閉じました。

 皆様に支えられて コンサートは無事終了致しましたが今、気にかかるのは魏松さんのことです。この頃までには事故の詳細もほぼ明らかになりました。
  9月22日は中国でノーカーデイ(公共の乗り物以外の個人の車の走行を禁止する日)が実施された為、上海浦東空港に向かう高速道路がすいていて魏松さんの乗ったタクシーが猛スピードでとばしていた所、前方に故障修理中の大型トラックが停まっていて、そのトラックにタクシーが突っ込んでしまったこと。 車は大破したのにもかかわらず、不思議なことにタクシーの運転手さんは怪我もなかったと。魏松さんも首から下は全く問題がなかったこと。但し!!前の座席の背もたれに顔から突っ込んでしまった為 顔を大怪我し40針以上も縫ったこと。しかもなんと口の周りが一番ひどかったこと。

 この「口の周り」というのが私の胸に大きな心配となって突き刺さります。なぜなら口の周りは声楽家にとって一番大切な部分だからです。彼の“声”の熱烈なファンでもある私としては この怪我が今後彼の声に何か影響を残したらどうしよう・・・と心配で眠れない毎日です。
もし私が魏松さんに出演のお願いをしていなければ 彼はこのコンサートに向かうこともなく事故にも遭わなかったのでは・・・と考えると彼のこのたびの災難はすべて私の責任のように思えて参ります。
とにかくお見舞いに行かなくては!長春から日本へ戻るチケットは捨てることにして 上海へのチケットを新たに買い求めました。
 26日の朝一番の飛行機で上海に向かいます。
前日(9月25日)はちょうど中秋節でした。・
ジャパンウィークのコンサートを終えて 明日は上海へお見舞い行くというあの晩の長春の満月を私は一生忘れることはないでしょう。
  日中友好・・・と言って飛び回っている私だけれど その私の活動の為に「中国の宝」とも言うべき方を傷つけてしまったのだとしたら一体私のやっていることは何なのだろう・・・高い高い空にひんやりと輝くまん丸な月に向かって私はくり返しくり返し問い続けていました。

 26日朝6:00ホテルを出発し 飛行機で上海に向かいました。 上海到着後すぐに張亮さんに連絡を入れます。 このたび張さんには音楽の面だけでなく 精神的な面でもずい分助けられました。 今日もお見舞いに付き添ってあげようと言ってくれました。夕方迎えに来てくれた張さんと一緒に病院に向かいます。特別室の廊下の先の先まで 花、花、花で溢れかえっている様子を見て 改めて事故の大きさを思い知らされます。と同時に彼の人望の厚さも。
一歩部屋に足を踏み入れた私の目に飛び込んで来たのは 黒紫に変色した顔、まっ赤に充血した目、痛々しい口のまわりの傷・・・・思わず声をあげて泣き出してしまいました。

 しかし 驚いたことに この情況下にあって魏松さんの気持ちは いたって前向き、元気いっぱいです。 逆に私の方が慰められる始末です。 次々に訪れる お見舞いの人達に向かって冗談を飛ばしたりベットが揺れる程の勢いでお話をなさったり ・・・・
本当に体力も精神力も超人的な方です。

 「完全に治るまでゆっくりお休み下さい。10月27日のコンサートでは ほんの一言舞台でお話下されば十分ですから」という私の言葉を制して「1ヶ月以内に必ず舞台に上がる。10月27日は一緒に歌うから。」と言って下さいました。
  たしかにこれ程の気力と体力なら そんなことも可能なのかも知れません。
 彼の一日も早い完全回復を祈りつつ 翌日帰路につきました




お見舞いに伺った時たまたま新民晩報(新聞社)の記者の方がいらしていたので翌日の新聞にその模様が掲載されました。

9月19日私の歓迎パーティーを開いて下さいました。

前列左から 吉林省人民政府外事弁公王剛副主任、
菊田悦二領事、
後列左から 吉林省人民政府外事弁公室李瑤さん、
総領事館 平林朋子さん、
吉林省人民政府外事弁公室王傑秘書長、
総領事館の翁鉄軍さん

9月21日東北師範大学音楽学院にて交流会。音楽院の先生方と。

9月21日夜 阿部総領事主催の夕食会にて

前列から茶道裏千家淡交会 高橋進青年部東北ブロック長、
阿部総領事、
学校法人東京育英学園 野口f兵理事長、
後列左より 学校法人東京育英学園 山嵜廣子副学園長、私、
王剛副主任、茶道裏千家淡交会 鈴木祐太郎、王傑秘書長、
淡交会の女性陣。

9月23日長春の友人、馬慧敏さんご夫妻と。

9月25日お別れパーティー

左から 吉林省文化庁 車兆光さん、同じく朱紅さん、同じく張志強処長、青山ローレル 小俣泰隆 私 
吉林省人民政府外事弁公室 王傑秘書長 同じく弁公室 金雪峰さん、 総領事館 翁鉄軍さん、菊田悦二領事



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