NAOKOのひとりごと・・・・・No30

「昭和ブーム」

このところ「昭和」に人気が集まっている。『3丁目の夕日』が火付け役とも言われているが、実は結構前から昭和願望が燻っていたのかもしれない。平成になって丸17年、そろそろ一時代前が懐かしくなるころである。

私は64年続いた昭和(元年は1週間、64年も1週間、正味は62年と少し)の真ん中当たりで生まれ、団塊世代が直面した学生運動が下火になり、保守体制派が主流になったころに大人になったので、モーレツ世代ではなくビューティフル世代?に属する。過激を好まず、アウトローには馴染めず、音楽家というノンポリの人種の中でもとりわけノンポリな歌い手は私にピッタリな職業だと思っている。

60余年も続いた昭和は、戦前、戦中、戦後に分けられるが、人気の昭和は、勿論戦後。それも焼け跡からの復興期から30年代にかけての、フラフープやダッコちゃんが流行った時代。私はまだガラガラなんかで遊んでいたころだから、あまり確かな記憶はないが、当時は暑さより寒さが問題だったのは覚えている。冬場の家の中は今のように暖かくなく、奥の部屋と呼んでいた北西の角部屋では、吐く息が白くなったりしていた。時代が下り、ほかの部屋はストーブで暖かくなってもこの部屋だけは暖房が入ることなく、40年代半ばになってもまだ寒かった。その部屋に置かれた電話器で、姉はコートを羽織ってボーイフレンドからの長電話をうけていた。

昭和30年代、何もかもが今と比べれば格段に不便で、街も綺麗でなく、隅田川は汚れて悪臭を放っていた。私の住んでいた都内でも、水洗トイレが完備されているのはごく一部、道路の電灯も少なく夜はなんとなく薄暗かった。アメリカのテレビ映画に登場する家電や車は私たちの日常生活からはかけ離れて贅沢なものに思えた。

  一番小さいのが私(昭和30年代半ば)

もっと豊かになりたい、もっと便利に暮らしたい、追いかける夢は後をたたなかった。私達が「昭和」を懐かしむ時、あの渇望する気持ちが一瞬蘇って心がパァーッと晴れるのではないだろうか。自分たちの手で何とかしよう、と必死で思ったことを再確認できるのではないだろうか。皆あのころの気持ちに戻りたい!!から昭和はブームになった。

便利さの追求は自己防衛を余儀なくし、生活の豊かさは精神の貧困を生み、自然を破壊し尽くした人間がその間違いに気付き、必死で自然を取り戻そうとしているように、私たちは進化しすぎてしまったことに「軽くヤバイ」と感じて、失った不便さを懐かしんでいる。

昭和生まれの私たちは、大正時代、明治時代と呼ぶが、平成になって18年目であるにも拘らず、昭和時代とは言わない。生まれた年号が○○時代といわれるのは、自分が古びて化石にでもなったように感じられ、あまり嬉しいものではない。まだまだ昭和世代が主流を占めているのだから、当分「昭和」で親しまれるのだろう。そして昭和ブームは去っても、心のどこかに私だけの昭和ブームをもち続けるのだろう。

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