NAOKOのひとりごと No35 最終回

「薔薇、ばら、バラ」

 先日、知人のお誘いで、通称チバリーヒルズと呼ばれる千葉市緑区の高級住宅街にあるすばらしい邸宅にお邪魔する機会を得た。高級別荘地と同じく、その一角は地下ケーブルが配備されて、道路幅も広く、どの邸宅もビバリーヒルズそのもので、ついさっきまで車を走らせていた道路とは隔絶の観あり。私達がご招待を受けたお家のオーナーは、歯科医院を何軒か経営なさっているドクターで、広いお庭一杯にご自身で手入れをなさってバラを育て、見事なローズガーデンを作られている。


(ユーロピアノ・ベヒシュタイン輸入総代理店 戸塚社長と)
 そして毎年バラが美しく咲き誇る季節に、友人知人を招待されて、パーティーを開かれる。ドクターは又、音楽愛好家の歯科医院スタッフの方達に発表の場を与えたいとの思いで、このバラのシーズン、ホールを開放してサロンコンサートを催される。私達ゲストは芳しいバラの香りに包まれて、午後のひと時スタッフの方達の演奏に耳を傾けながら、豊かな時間をすごすことが出来る。

サロンには1880年製のすばらしい音色のベヒシュタインというピアノが置かれ、若手ピアニストの近藤和花さん(東京音大の私の大?後輩)によるショパン演奏も行われた。

 お庭のテニスコートでは、ドクターの友人でありプロテニスプレーヤーの沢松奈生子さんの華麗なプレーを堪能、優雅な一日を過ごしました。

  バラは私達人類よりずっと歴史が古い。終始その美しさと香りで、歴史の表舞台に登場してきた花でもある。クレオパトラがバラの花びらを浮かべたお風呂に入った話は有名だし、ナポレオンの皇后ジョセフィーヌは交配を支援、僅かだったバラの種類を何倍にも増やした功績を持ち、バラのパトロンと呼ばれた。血なまぐさい内容とは裏腹に、ランカスター家とヨーク家の30年にわたる戦争は、両家の紋章から一般にバラ戦争と言われているし、おそらく西洋では最も愛された花といえるだろう。

 絵画の題材としては勿論、小説、音楽にもバラは頻繁に登場する。ソプラノである私自身は、バラというタイトルが付いた曲を歌う機会が多い。シューベルト、ウェルナー、そして山田耕筰の「のばら」、サン=サーンスの「バラとうぐいす」、リムスキーコルサコフの「うぐいすはバラに魅せられ」、黄自の「薔薇の三つの願い」(7月9日のコンサートで歌います)、そして若い頃よくリクエストされた「百万本のバラ」など…。

  (Dr.Honma’s Rose Gardenにて母と)

 私は仕事柄、花束を頂く機会が多いが、香りが芳く美しい花というのは受け取った瞬間、演奏の緊張がフッと和らぎ、なんだか幸せな気分になる。とはいっても舞台で花束を受け取るのはコンサートの最後だから、これが花の効用なのか、演奏が終わったことの安堵感なのかは定かではないが。もうだいぶ前のことになるが、私が演奏の合間のトークで、“私は甘党で食いしん坊だから花より団子”なんて話を冗談めかしにしたところ、暫くはどなたも花束を持っていらっしゃらなくなった時期があった。楽屋にはお菓子が溢れかえり、それはそれでとても嬉しかったが、まさかそんなつもりで言った訳ではなかったのに…、と自分の軽率さを反省した苦い思い出がある。

 結核で長い闘病生活を送った人から、“病人には花が一番、その生命力に生きる勇気を与えられる”と言う話を聞いたことがある。私もドクター本間のローズガーデンで青空のもと見事咲き誇るバラに囲まれて、豊かな心を取り戻し、英気を養い、前進する力と勇気が湧き上がってくるのを体験しました。すばらしい時間と空間を与えて頂いたことに心から感謝致します。

 35回続けて参りました「NAOKOのひとりごと」は今回を持ちまして終了させていただきます。又時を改めて別の形で、皆様に「NAOKOリポート」お届けしたいと思っております。長い間お付き合い頂きありがとうございました。

 
ドクター本間のローズガーデン、詳しいことはこちらへ

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